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マチの、映画と日々のよしなしごと

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それぞれの4年間

私が勝手にお邪魔しているブログで先日、フィギュアスケーターのアダム・リッポンが5月2日に開かれた米国スケート連盟主催のディナー・パーティで行ったスピーチを翻訳してアップしてくださっていた。

アダム・リッポン(25歳)と言えば 3月の上海ワールドでショート・フリーともクワド・ルッツを組み込んだプログラムで注目されていた選手。
両手を上げて跳ぶトリプル・ルッツはリッポン・ルッツと呼ばれるほど、やはり美しい。
そして彼については、日本では「世界ジュニア選手権2連覇」という冠でよく紹介されていた。
というより、翌年の四大陸選手権で優勝して以降は表彰台からは遠い存在だった。


2012年以来の世界選手権出場となる今回の上海ワールドのアメリカ勢は、20歳の若手ジェイソン・ブラウンとジョシュア・ファリスに混じって久々ともいえる25歳のアダム・リッポン。
現役選手としては決して若くなく、引退してもおかしくない年齢。
そんな彼がクワド・ルッツにトライし続ける姿には感動さえ覚えた。
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そんな彼のスピーチがなかなかに興味深かった。
全文はこちらで。是非!


「翌年、世界ジュニアで2度目の優勝をすると、その次の年にはバンクーバー五輪の補欠に選ばれ、四大陸選手権で初優勝し、世界選手権では6位入賞を果たしました。
その後の4年間は僕の時代になるはずでした。そのままソチの表彰台まで波に乗っていけるんだと思っていました。バンクーバーの次のシーズンには、最初の試合となったジャパンオープンで、エフゲニー・プルシェンコと高橋大輔を抑え、男子部門で優勝しました。
その後の4年間は僕のものになるはずだった。ほかの誰でもなく自分がその責任を負っているんだと感じていました。」

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20歳の頃のアダム・リッポン。未来は僕のものと信じて疑わなかった頃だろう。

世界ジュニア2連覇は史上初の快挙。
「その後の4年間は僕の時代になるはずでした。」
ソチ表彰台。
金メダル。
彼自身も、アメリカフィギュア界もそう信じて疑わなかっただろう。


しかし、
2014年ソチ・オリンピックの表彰台の真ん中に立ったのは、アダム・リッポンが2連勝したその翌年の世界ジュニア選手権に15歳で優勝した日本の羽生結弦だった。
アダム・リッポンが2連勝した2009年にも羽生君は全日本ジュニア選手権に優勝して初出場するも、ジャンプの失敗が響いて12位。でもこの時に14歳のこの少年はすでに目に留まる存在になっていたようだ。イギリスの解説者は将来と言うことで僕は日本のハニュウユヅルに賭けるねって試合を見ながらそんなお喋りをしていたほど。

そして、
アダム・リッポンの時代となるはずだったその4年間を独占し続けたのは、彼より1歳年下のカナダのパトリック・チャンだった。
バンクーバーオリンピックの翌年から世界選手権3連覇。
ソチの金メダルに一番近い男と言われていたパトリック・チャン。

そして、そのパトリック・チャンのディープエッジのスケーティングを目の当たりに見たのが、シニア1年目でロステレコム杯初出場の、まだ15歳の羽生結弦。
その翌シーズン、初出場の世界選手権で表彰台に乗った17歳になったばかりの、嬉しくって子供みたいにぴょんぴょん飛び跳ねて喜んでいたこの少年が、その2年後には自分を脅かす存在になるまでに成長するとはパトリック・チャンは想像できただろうか。



「その時期、僕は初めて、試合に出るたびに自分がメダルの最有力だと感じるようになったのです。それまでとは全く違うプレッシャーがありました。みんなをがっかりさせてはいけない、それが自分の義務なんだと感じていました。みんなが期待するような結果を出せなかったら、それは惨敗なんだと思うようになりました。試合でひとつでもミスをしたら、家に帰って、何が悪かったか考え込むようになりました。僕は自分が、人々が僕に対して持っているイメージを裏切っているように感じました。たくさんの不安を抱えながら、それを誰にも打ち明けることができなかったのです。」


アダム・リッポンが世界ジュニア選手権で2連覇した18歳から19歳は、羽生君がグランプリシリーズで、パトリック・チャンを追いかけ追い越そうと真っ向勝負に挑んでいたのと同じ年齢。

「全力を出しきっても負ける気がした。」振り返りそう語っていたパトリック・チャン。
1年間の休養を経て彼も再びリンクに戻ってくる。
 

それぞれの4年間を俯瞰してみると、彼ら自身の努力や思いとは別の次元の、目に見えない歯車のようなものを感じるなぁ。
ぴたっと噛み合う歯車と、一つずつずれて廻る歯車と……
けれど、噛み合わせる強さがあるかどうかは、やはり彼ら自身の内にある力がその強さを手繰り寄せるんだろうなぁ。
そんなことも思う。



世界選手権の2012年以来の出場権を得た2015年全米選手権。
「僕は氷から降りて、得点を待ちました。それはすばらしい得点でした。全米の男子フリー史上最高の得点だったんです。フリーは1位、総合では2位でした。確かに結果は2位ではあったけれど、その日はまるで優勝したような気分でした。
まるでチャンピオンになった気分でした。こういう瞬間のために、僕ら選手は生活のすべてをかけて練習しているんだと、このときにわかったんです。今までの努力が実をむすび、ここまで来るのを助けてくれた人たちと一緒に喜び合える――そんな瞬間のために、僕らは練習を積んでいるんです。僕らの友達も、家族も、コーチたちも、そんな瞬間を心から望んでくれています。それが実現したときというのは、本当にすばらしいものなんです。

そのとき、僕は悟りました。「オリンピックをめざす」ことは実際にオリンピックに出場するよりも大きなことなのだと。たとえオリンピックに出場したことがなくても、オリンピック精神をもって戦うことはできるんです。引退した後も人々の記憶に残り続けるのは、その選手の戦いぶりや他の選手にどう接したかなのですから。」



本当にいろんなことが、いろんなドラマがありすぎたと思える今季のフィギュアスケートシーズン。
来季はまたどんなドキドキが待っているのかしら。
そんな時に、一人の選手の、素直に自分自身とスケートを語ったこんなステキなスピーチに出会えるなんて!

私の勝手な感想だけど、
僕の時代と思っていたその4年間に彼はコーチをニコライ・モロゾフからブライアン・オーサーへ、そして佐藤有香、ジェイソン・ダンジェンへと変更していいく。
結果に拘り、より強くより強くと気持ちが先行していたんだろうなって思う。
そして、プレッシャーに自ら囚われて動けなくなった4年間の中で、彼は自分を素直に語る強さを得たんじゃないかしら。
上海ワールドでクワド・ルッツが成功しなかったけれど、インタビューに答える彼はとてもポジティブで爽やかささえ感じた。
「国別対抗ではリベンジしたい」って応えていたから、4月の国別対抗戦でも彼に会えるかしらって思っていたけど、出場したのはジェイソン・ブラウンとマックス・アーロンだったわ。


昨日は、浅田真央が現役続行表明の会見が報道された。
インタビューに答える真央ちゃん見ていて、彼女は胸にどんなビジョンを描き、どんな風に自分と向き合って、再び試合のリンクに戻る覚悟を持っているのだろう。
そんなこともふと思う。


Machi。
by machiiihi | 2015-05-20 00:30 | 銀盤のこと
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