1950年代。
アイルランドから新天地アメリカにやってきた一人の女性が、アメリカで「生きていく」ということを自ら選びとるまでを描いた物語ともいえるでしょう。
アイルランドからアメリカへ……
である(John F.Kennedy)が、1960年第35代アメリカ合衆国大統領となったジョン・F・ケネディもアイルランド人移民の子孫。
映画でも語られていたけど、戦後アメリカのインフラ整備を支えたのは多くのアイルランド移住者たちの労働力。
母を一人置いて生けないわ
残された私はどうすればいいの
邦画だったらそんな母と娘の涙涙のメロドラマが描かれるのだろうけれど
ここでは、そんな感傷的なシーンはない
それほどに「生きていく」ということに対して彼ら、アイルランドという国そのものの置かれている状況は切実なんだろう。
移住するということ。
その国で生きるということ。
故郷アイルランドには戻る場所はないということ。
日本人にはちょっと理解しがたいことだろうけど、
エイリシュが選んだのは、そういう覚悟だということ。
今は何もないけれど……
アイルランドでは見つけられなかった未来がここでは描けるということ。
そのことにどれほど渇望して、人々は海を越えアメリカにやってくることだろう。
これはそんな物語だろう。
「つぐない」(2007年)では、彼女の透き通るような瞳にすっかり参ってしまったシアーシャ・ローナン。
彼女のあの瞳が物語の始まりの大きなキーポイントともいえる映画「つぐない」。
「ラブリーボーン」(2009年)もいい作品だった。父親役のマーク・ウォルバーグが良かったなぁ。
「つぐない」のライト監督とは2度目のタッグとなった「ハンナ」は期待したんだけど、これは今ひとつだったけど、彼女の、はやはり魅力的。
スクリーンを通して私が知っているシアーシャ・ローナンは、何にも染まりきらない「無垢」を感じさせる透き通るような瞳を持った10代の少女だった彼女。
そして映画「ブルックリン」では20歳になった彼女に再会。
アイルランドのナショナル・カラーである緑のコートにしっかりと身を包んだ彼女。
グラス・グリーンともいえるその緑の色が、アメリカの空気の中で柔らかな緑、そして鮮やかなレモンイエローへ、彼女の洋服が変っていくのも印象的だった。
姉の葬儀でアイルランドへ
そして再びアメリカへ
迷いもなくしっかり前を見た一人の女性となって
マチ。