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映画「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」


2007年59歳で夭折したエドワード・ヤン監督の「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」

台湾での公開は1991年。
日本公開は1992年。
その後メディア
25年の歳月を経て、4Kレストア・デジタル・リマスター版としてスクリーンに甦った。
上映時間は236分、約4時間。
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1961年に台湾で実際に起きた、中学生の少年による同級生の少女殺害事件をモチーフにした作品。

本作は未見。
今となってはエドワード・ヤン監督の作品が25年たった今スクリーンで観れるということよりも、チャン・チェンが主役の少年を演じ、これが彼の俳優の第一歩となった作品ということで、
14歳のチャン・チェンを見ましょう!ってミーハー的興味も大いに加味されて映画館まで足を運ぶ。
4時間弱、普通の映画2本文と言うことからでしょうか。
鑑賞料金が特典無しで一般料金2,200円。


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 ↑本作のチャン・チェン(撮影当時14歳だったとか)
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↑オムニバス映画「愛の神、エロス」(2004年)~ウォン・カーウァイ監督「エロス    の純愛~若き仕立て屋の恋」のチャン・チェン(26.7歳頃?)
「グリーン・デスティニー」でも「ブエノスアイレス」でもまだまだ青ぐさくって素通りだったチャン・チェンが、コン・リー相手に、青年の初々しい色香と切なさを感じさせ、一気に注目度急上昇。
 
少女役は決まっていたけれど、少年役がなかなか決まらず、
少年の父親役でチャン・チェンの父親がキャスティングされていて、ヤン監督から少年役と同い年の息子のチャン・チェンを紹介して欲しいとの依頼を受けての本作出演だったとか。
演技経験ゼロのチャン・チェン初出演にして初主演映画。
一年間ほど週に数回程度の割合で演技指導みたいな時間をもったそうだ。
彼のお兄さんも映画の中で兄役で出演。


ヤン監督は彼に会ってきっと即決したでしょうね。
監督の演出、演技指導もあるでしょうけど
映画観ていてそう思う。
醸し出す雰囲気、風貌もさることながら、決め手は彼の目じゃないかな。
柔そうに見えてぐっとしたリキを感じさせる目力。
ラストシーンは見せてくれました。
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トイレ休憩無しの4時間弱
途中で眠気が、
一回はトイレ中断が、
って思っていたけれど、

映画はドラマチックな展開ではなく
彼らの日常が淡々と描かれており、
抗争シーンもエキサイティングでもなく
映像もダークトーン
だけれど
トイレも眠気も覚えることなくしっかり4時閑弱、エンドクレジットまで確り観てました。


少年が持っている懐中電灯。
暗闇に、そこだけがぼお~っと小さな丸い光が明るい。
その灯りの中で文字を綴る少年。

少年は闇の中で懐中電灯を点けたり消したりする。
闇の中の小さく弱い光。


一つの時代を
台湾が抱える闇を
そこに暮らす彼れの闇と光
そして
青春という時代が永遠に持ちつづける不安定と一途さ。
そして
どんな時代であれ、生きると言うこと自体が、懐中電灯で照らし出された小さな光を手探りに闇を歩くことと同じではないだろうか。


一つの時代
一つの場所
一つの時間
そこにいた人々が織りなす営み
そして起きてしまったある出来事


しかし時間を経た今、
1人の少年が引き起こした事件は、その少年固有のものではなく、
台湾という国だけが抱える固有のテーマでなく、
人として生きるものの普遍的なテーマ
青春が抱える永遠のテーマが、エドワード・ヤン監督が描いた「牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件」にしっかりと脈打っている。


この映画の象徴としてある少年が手にしていた懐中電灯。

そしてラストシーンはある意味、衝撃だった。
声を荒げることなく、喜怒哀楽といった感情をほとんど表に出さず、淡々としていた少年が、
警察の一室で着替えを促され、警察官達に強いられた時、
彼は初めて感情をむき出しにして、声を張り上げて激しく抵抗する。


25年を経てこの映画に出合えたことも嬉しいし、
そして
この映画によって
チャン・チェンという俳優が生まれたこともまた嬉しい。


取りとめもなく、
まとまらず、思いつくままに綴ってます。
ちょっと映画に戻って……


映画冒頭で綴られる時代背景。
「1949年前後、数百人の中国人が国民党政府と共に台湾へ渡った。
安定した仕事と生活を求めてのことだった。
未知の土地で動揺する両親の姿に少年たちは不安を覚え、グループを結成し自己を誇示しようとした」


中国共産党が中国本土を完全に支配し、1949年に中華人民共和国を設立。
共産党との政権闘争に敗北した蒋介石率いる国民党は台湾に撤退、1949年12月に台北に新政府樹立。

ヤン監督と同世代の侯孝賢は、日本統治の終わりから国民党率いる中華民国が台北に新政府を樹立するまでを、ある一家を通して描いた「非情城市」を撮っている。
1989年公開の2年前までは台湾はずっと戒厳令下にあった。


1947年に上海で生まれ、2歳の時に家族とともに台北に移住したエドワード・ヤン監督。
この事件が起きた時、ヤン監督も少年とほぼ同じ年齢。
いわゆる外省人と呼ばれた少年の家族、そしてヤンの家族達もそうだっただろう。
少年だったヤン監督もこの事件に衝撃を受けたそうだ。
ある意味では、自らを語り、台湾を語り、時代を語るものとして彼の中で映画化に向けてずっとあたため続けてきたものだろう。


1949年に台湾にきてから12年になる……
少年の父親が、歯がゆさを飲み込みながら口にする言葉
上海では知識人として恐らくは自由闊達に暮らしていたのだろう。
しかし台湾での鬱屈とした暮らし。


少年が家族と暮らす家は、かつては日本人が暮らしていた日本家屋だろう。
日本統治時代の名残りが映像の端々に顔をのぞかせる。


こういう時代を通り過ぎてきたからだろうか、
台湾映画における青春映画って
なぜかノスタルジックで、忘れてしまっていた大事なものを甦らせてくれるような初々しさがある。
少年、少女を演じる俳優の色もあるんでしょうね。


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やっぱり
60年代から90年代にかけての映画っていいなってしみじみ思う。
2,200円出して映画館のスクリーンの前まで足運ぶだけの値打ちもんの本作でした。



Machi。

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by machiiihi | 2017-04-10 16:47 | 映画
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