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マチの、映画と日々のよしなしごと

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シルバニア・ファミリー

懐かしくって写真を撮らせていただいた。
会社近くのお気に入りの喫茶店。
テーブル席の仕切り台の上に硝子ケースに入って飾られているシルバニア・ファミリー。
たいていはカウンターに座るけど、満席でテーブル席に座った時なんかも、見ているだけで楽しい。
こんなにたくさんは揃っていないけれど、娘も子供の頃に遊んでいて、押入れの天袋に今もしまってある。
娘が持っていたのは丸太小屋と二階建ての家。クマさん一家も赤ちゃんからおじいちゃん、おばあちゃんまでいて結構な世帯。トイレもバスタブも陶器だし、フライパンもコンロも精工で、子供よりも親の方が嬉しくって、今も大事にしまってある。

12月で3歳になるおチビちゃん。
男の子だけれど、出してあげると案外と喜ぶかも。

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誰の趣味?ってウェイター君にこそっと聞いたら、カウンターの中で、たまたま背中向けてしゃがんでいた彼をそっと指差して、にやっと笑いながら片目つぶって「ナイショ」。
無愛想に、でも美味しいコーヒーを入れてくれる彼の趣味なんだ~。
へぇ~。
人って見かけではわからないものねぇ。


Machi。
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# by machiiihi | 2013-11-17 07:00 | ステキ!

映画「太陽に灼かれて」

日本公開作品しか知らないけれど、ソ連時代も含めてロシア映画って、ユーモアとか飄々とした軽やかさとは無縁の、ストイックすぎるほどの視点で描かれた、という印象が強い。
苦しいほどのその重い情緒、情感もまた、これはこれで好きなんだけど。


そんな中でニキータ・ミハルコフの作品は、それまでのロシア映画にはない大らかなユーモアや春を思わせるような明るさが異質で、初めて彼の作品が日本で公開された「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」(1977年)や、ソ連崩壊後の本作「太陽に灼かれて」(1994年)、政治力を利用して予算を使いすぎたと国内で大いに批判を浴びたという「シベリアの理髪師」(1999年)などは、例えばロシア版エミール・クストリッツァ的に面白いと思える作品。
ドラマの背景にある、豊饒なる大地を思わせるようなロシアの広大さもまた惹かれた一つかもしれない。


今回、「太陽に灼かれて」、「戦火のナージャ」(2010年)に続くスターリン時代のソ連を舞台にした3部作の最終章「遥かなる勝利へ」(2011年)の公開記念として、BSで放映されていた本作を再鑑賞。東日本大震災ショックで観なかった「戦火のナージャ」も合わせて鑑賞。

しかし、
10年ぶりのミハルコフ監督ということで期待した、「12人の怒れる男 12」(2007年)は、ロシアの抱える問題が浮き彫りに…というけれど、お題目だけ並べただけの薄っぺらさに、こんな監督だったの?ってちょっとがっかり。ソ連の時代、スターリンの時代と違って現代のロシアを描くとなると、政治的にもあれこれ支障があるのかしらねと皮肉な目でみてしまったように、
本作の続篇「戦火のナージャ」も、規模からすると大作ではあるがありきたりのお定まりの内容で、ミハルコフ監督自身から何かが削ぎ落とされたような、かなりしんどい出来栄え。
「遥かなる勝利へ」の出来も見えてきたような………。
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最終章の「遥かなる勝利へ」では登場人物たちがどんな形でラストシーンに繋がっていくのか、多分に野次馬根性的な興味はあるが、映画館に行くほどのものでもない気がする。
多分、大作だが中味は濃厚すぎるほどの父と娘のセンチメンタルな感動の再会シーンに終始するのだろうなぁと予測される。

カンヌ国際映画祭審査員グランプリとアカデミー外国語映画賞をダブル受賞した本作「太陽に灼かれて」に、彼の映像作家としての才気と映像センスが凝縮された作品で、それ以降については語るべきものはないんじゃないかな。


「太陽に灼かれて」
1994年

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物語の背景は、ロシア革命を勝利へと導いたレーニン亡き後、スターリンが政権を握りその独裁政権下で、1930年代には「反革命罪」で死刑判決を受けたものは約72万人とされる大粛清時代。

「朱に染まった波の間から、偽りの太陽が昇り始める」
暗喩に満ちた言葉とともに、物語は二つの対照的なシーンで始まる。


この言葉で始まる新聞記事をたどたどしいロシア語で読む執事の声を聞きながら、一人の男(ドミトリ)が、銃弾を抜いた拳銃をこめかみに当て、ロシアンルーレットの死の恐怖に身を投じる。

そして、「偽りの太陽」を演奏する楽団のメロディに合わせ雪の舞い散る中で一組の男女(コトフとマルーシャ)が踊る、まるで帝政ロシアの時代を思わせるようなシーン。その傍らのベンチで一人の少女(ナージャ)が「偽りの太陽」の歌を口ずさむ。

そしてこの暗喩に導かれるように、映像の風景もまた変容していく。

古き良き時代の郷愁さえ感じさせるような牧歌的な田園風景の中、粛清の嵐などとは無縁のような、太陽の光がさんさんと溢れる映像。
革命の英雄として村人や兵士から篤い信頼と尊敬を集めるコトフ大佐の陽気で人情味溢れる饒舌、ナージャの無邪気で快活なお喋り、そしてコトフの大きな愛に包まれたマルーシャの笑顔。
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そこに一人の男、誰にも何も言わず10年前に突然に姿を消した男ドミトリが現れる。
少年時代に両親を亡くした彼がマルーシャやその家族らとともに暮らしていた家。
そしてコトフの若く美しいマルーシャは、10年前にドミトリがある人物から国外派遣を命じられるまでは二人は恋人同士だった。命じたのはコトフ。

一人の女性マルーシャをめぐり二人の男が対峙する。
一人はロシア革命の英雄コトフ。もう一人は貴族出身でスターリンの秘密警察の一員として動いているドミトリ。
10年前に国外派遣を命じたのはコトフの巧妙な策略と信じるドミトリは、コトフの破滅に執念を燃やし、スターリンの粛清に乗じて彼をクレムリンに送り込むためにやってきた。
しかし、マルーシャをはじめ一族達は10年ぶりのドミトリに興奮する。

ドミトリの出現によって、太陽のごとき存在だったコトフから饒舌が奪われ、代わって、ドミトリの饒舌が主役となる。ドミトリがお伽話としてナージャに語るのはドミトリとマルーシャのこと、そして10年前のこと。

「朱に染まった波の間から、偽りの太陽が昇り始める」
その偽りの太陽は、草原を抜け、ドミトリの語るお伽話を聞いている彼等の間を、彼等の間を抜け、火の玉となって燃え上がる。


語学に長け芸術の造詣も深かったドミトリは諜報部員として国外を渡り歩いていた。
「命じたのは私だ。だが決意をしたのは彼自身だ。行けと言われたら愛する妻と子供がいても私は行く。国を愛するがゆえに行く。しかし彼は恐怖に負けて行くことを決意した。そこが私と彼の違いだ。」ショックを受けるマルーシャにそう答えるコトフ。

しかし、コトフのドミトリに対するこの指摘は彼の弱点を鋭く衝いている。
革命政権下、貴族階級であるということはドミトリにとっては致命的的なものだっただろう。
常に自らの意識、内面を抹殺していくことで彼は革命後の世界を生きてきたのだろう。
あるいはコトフが糾弾するように二重スパイとして暗躍していたのかもしれない。恐怖に衝き動かされて……。

平静を装いながらも、コトフの力強い凝視を正視できない弱さ、その弱さへの怖れを隠すかのように口笛を吹くドミトリ。
ドミトリのあの饒舌もまた彼の内面の弱さを隠す為のものだったのだろう。
あらためて、冒頭でのあのロシアンルーレットで必死に恐怖に耐えるドミトリの姿が重なる。


ドミトリもまた、いや彼こそが時代の被害者であるといえる。
コトフ逮捕の後、「偽りの太陽」のメロディを口ずさみながら、バスタブに浸かり手首を切ってに身を委ねるドミトリ。
物語はドミトリの恐怖で始まり、そして彼の恐怖で静かに幕が閉じられる。
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そして、革命の英雄コトフの物語も、ドミトリの物語も、全ては、ラストに出現する、気球によって上空に垂らされたスターリンの巨大な肖像に飲みこまれ集束していく。
陸軍大佐コトフ 36年8月12日銃殺 56年11月名誉回復。
マリア・コトヴァ 禁固10年 40年死亡 56年名誉回復。
ナージャ・コトヴァ 36年6月逮捕 56年名誉回復 現在カザフスタン在住。
このキャプションで本作は一先ず締めくくられる。


男女3人の愛憎ドラマという様相を装いながら、粛清の時代そのものを描いた本作。
登場人物のセリフにもミハルコフの時代に対する鋭い視線が込められている。
日常と非日常の不安定なパラレル、非日常が一瞬にして日常を崩壊させる不条理、そしてその中でナージャの無邪気な笑顔だけが一貫して変らず、それは未だ何物にも染まらぬ無垢な存在、未来に繋がるものとして観る者に強く印象付ける。
この作品は面白い。
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ニキータ・ハミルコフが演じたコトフ。その娘ナージャは彼の実の娘ナージャ・ハミルコフ。


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Machi。
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# by machiiihi | 2013-11-16 00:00 | 映画

届いた野菜で晩ご飯

宮城県から届いた荷物。
夫の知人からの届き物。
ダンボールに貼られた送り状には「ヤサイ」
開けると里芋も大和芋も長芋も土からほったまんま。
キャベツにブロッコリーに葱……。
土のホクホクしたいい匂いがするのがとれたて新鮮。

その夜は、土を洗って皮をむいたら真っ白な長芋をすりおろして、
ポン酢かけてつるつるつるっと。
喉ごしのなんと滑らかなこと。
美味しくって、ダンボールから取り出してせっせとすりおろして、お代わり。

今日は、長芋よりも粘りのある大和芋でとろろご飯。
太葱は、風邪予防に焼き葱にして、
ついでに鶏肉も塩麹で味付けして一緒に焼いちゃおう。
それにワカメの味噌汁があればOKでしょう。

ヌルヌル・ネバネバがダメな夫が出張中で良かったこと。



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泥を被っているけれど、この真っ白さが断然違う!


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お手軽にグリル用フライパンに乗っけて焼いた葱と鶏肉。
グリルをあけて焼き加減をみると、あともう少しかな。




里芋も長芋もオクラもモズクも納豆もダメで、基本お子ちゃま味覚の夫。
ピーマンもいまだにイヤみたいだから焼き葱なんかはもってのほか。
そうそう、牛肉でもお魚でも味噌漬けしたのは食べるけど、どちらかというと好きじゃないみたい(だから塩麹風味ってのも駄目でしょう)。
オクラは3回に1回は食べなければって思って食べるみたいだけど、
あとは息子に押しつける。
デミグラスソースで煮込んだビーフ・シチューなんかよりも、
市販のルーを使って作ったカレーの方が大好きみたい。
だから、
単身赴任から帰還しても出張が多くって良かったなって思う私と息子。
出張先ではほとんど接待食で、ええもん食べたはるみたいだから、
家では手の込んだ凝った料理より、
気の張らない好きなもの食べたいんでしょうと思い遣って、
手間の掛からない料理を心がけている私(微笑)。

Machi。
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# by machiiihi | 2013-11-15 06:00 | 美味しいもの

出産祝いの私の定番

男の子ならスナフキン。
女の子ならミー。
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ムーミンでお馴染みの人気キャラクター。
赤ちゃんが産まれたら、気がおけない間柄に限ってだけど、私の出産祝いの定番はエーケルンド社のこのクッション。
30cm×30cmで普通のクッションよりも一回り小さくって、ヨチヨチ歩きでももてる大きさ。
エーケルンド社では綿の種から有機農法で栽培しているし、このまま丸洗いもできるから清潔で安心。

娘のところには、おチビちゃんが生まれる前に、それぞれの誕生日に一つずつ。
二人の姪っこのところにもお祝いにつけて、一人はミー、もう一人はスナフキン。

今回も親しい知人の娘さんが二人目出産との事で、ラッピングしてもらったものを引取りに行ってパチリ。一人目は女の子でミーちゃんのクッションをプレゼントしたから、今回は男の子なのでスナフキンをプレゼントできるから、私の方が嬉しくって。
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Machi。
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# by machiiihi | 2013-11-14 00:00 | お気に入り

映画「愛の神、エロス」のソダーバーグ作品を観る。

「愛の神、エロス」(2004年)

3人の監督によるオムニバス映画
第1章:ウォン・カーウァイ「エロスの純愛〜若き仕立屋の恋」(原題:The Hand)
第2章:スティーブン・ソダーバーグ「エロスの悪戯〜ペンローズの悩み」(原題:Equilibrium)
第3章:ミケランジェロ・アントニオーニ「エロスの誘惑〜危険な道筋」(原題:The Dangerous Thread of Things)

公開時にはいそいそと劇場まで観にいったけれど、第一作目のウォン・カーウァイ監督作品は、それはそれは切なくて、コン・リー演じる、高級娼婦から街で春を売る女にまで落ちぶれてしまった女性を一途に思い続ける若き仕立て屋を演じたチャン・チェンがまた良くって、最後の二人の切なすぎるほど切ない絡みのシーンなんて、このストイックなまでの純愛に、今回も劇場で観た時以上にウルウル。

劇場ではその後に続く2作品は2作品とも途中で寝てしまうというあり得ない事態だったけど、それでも大いに満足して劇場を後にできたのも、ウォン・カーウァイ監督の『エロスの純愛〜若き仕立屋の恋』がそれほどに満足させてくれたということ。
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やぱりチャン・チェンの画像アップしましょ♪


さて、さて……
先日「恋するリベラーチェ」を観にいって、この作品を最後にソダーバーグが監督活動を休止するというので、途中で寝てしまい、ラストでビュンビュン空を飛んでいたあの紙飛行機は何だったんだろう?って時折思い出しては気になっていた、第2章のスティーブン・ソダーバーグ『エロスの悪戯〜ペンローズの悩み』を観なければって気になっての鑑賞。

原題の「Equilibrium」は英語で「平衡、つり合い、落ち着き」という意味。
毎晩同じ女性の夢を見続けるという悩みを抱えてベンローズは精神科分析医のパール医師を訪れる。

眠気を誘うけれど、これは、ベンローズがカウチに横になり、うとうとした状態でパール医師に夢の話を語り続けるという、このベンローズのうとうと感、ベンローズを演じるロバート・ダウニー・Jrが今にも寝そうな声でとつとつ・うじうじ・ぐだぐだと夢の話をするもんだから、それが観る方に伝染しての眠気でしょうねぇ。

そこへいくとアラン・アーキン演じるパール医師は手馴れたもの。
カウチの後ろ側に座って患者から彼が見えないのをいいことに、話をしながら、目は窓の外。そっと望遠鏡を取り出して、窓からナンパしているか、それとも恋人が通るのを待っているのか。お目当てをキャッチした彼はビルの窓を開けて手を振るけれど気づかないので、カルテの用紙(多分)を取り出して紙飛行機を折っては飛ばし、折っては飛ばし、やっと相手も気づいたらしく手で無言ジェスチャーしてナンパ成功。その間も口はベンローズと話している。

蔭でこそこそそんなことしてるからパール医師はベンローズの告白を聞きながらもちっとも眠くはならず、気持ちは約束の相手に会うところに飛んでいる。


この作品、今回初めて最後まできちんと見終えたけど、眠気を誘うことを除けば、ベンローズとパール医師の対比関係も面白く、私、これは結構好きだわ。
はてさて、次々と紙飛行機が飛ばされるけれど、方向を見失っているようにも、闇雲にも見えるけど、はてさてどこに、何にぶつかるのかしらねぇ。
それとも紙飛行機を飛ばし続けることで、ベンローズは自らを解き放つことが出来るのかしらね。

ウィキペディア「愛の神、エロス」の評価欄でこんな面白い一文が掲載されていた。
……『シカゴ・サンタイムズ』のロジャー・イーバートは、『エロスの純愛〜若き仕立屋の恋』に4ツ星満点、『エロスの悪戯〜ペンローズの悩み』に3ツ星、『エロスの誘惑〜危険な道筋』に1ツ星を与えた。……

3作品ともきちんと見終わった後での思わず納得のイーバート氏のこの評価。

でも私のオススメ度としては、「エロスの純愛〜若き仕立屋の恋」観て!観て!絶対観て100%全開の★5つ。
ソダーバーグの「エロスの悪戯〜ペンローズの悩み」は、気に入ったけど、寝るかどうかは自己責任としても、眠気度差し引いて(笑)★3つ。
アントニオーニさんの「エロスの誘惑〜危険な道筋」は短絡的過ぎというかストレートすぎというか、ここまできたら文化の違いか?価値観の違いか。どうでもいいわで★なし。



Machi。
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# by machiiihi | 2013-11-13 00:00 | 映画

映画「いとしきエブリディ」

夜明け前。
めざまし時計に起された母親は急いで子供たちを起こしにいき、小さい子供たちもたどたどしく身支度をする。
長女ステファニー8歳
長男ショーン6歳
次男ロバート4歳
次女カトリーナ3歳

子供たちの、とりわけ小さい子供たちのいる朝のテーブルのあわただしさはどの家庭も同じ光景だろう。
5人は揃って家を出て、イギリスの片田舎ノーフォークの小さな村の夜明け前の道を歩く。
ステファニーとカトリーナは隣家でお留守番で、男の子のショーンとロバートは母親と一緒にロンドン行きの列車を待つ。ロバートを抱っこしながら母親はホームから空席車両を探し、お兄ちゃんのロバートに空いた席を見つけてねって言う。子連れ旅の必死感が伝わってくる。
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父親はロンドンの刑務所に服役中。
母親と子供たち4人の生活。
まだまだ若い母親は昼はスーパーで、夜は酒場で働いて生計をたてている。
そして週末になると子供達をつれてロンドンの刑務所まで列車を乗り継ぎ数時間かけて面会に行く。
そんな設定の本作の家族。

ある一家に密着したドキュメント映像としか思えない本作。
どうやって子供たちに演技指導なり演出をしたんだろうと思えるほど、子供たちの自然さが素晴らしかった。
子供たち4人は実の兄弟で作中の名前も実名。

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本作について書き出したらキリがないほどなんだけれど、
今回の劇場鑑賞では、長男ショーンの口数が少ないがゆえに、彼の心情に視線が注がれた。(次男坊のロバート君はお目目くりくりでなかなかのキャラを見せていたけれどね)
映画の前半の方。
ショーンが猟銃を持ち出して森に行く。
男の子って、とりわけ父親不在の環境の中で、難しい時期なんだろうなぁ、夫だけでなく息子までもが彼女の心労のタネになっていくんじゃないかしらって思いながら見ていると……
彼は森の奥深くまで入っていってハンター達が撃った兎をみつけ、持ち帰る。
面会に行く度に、父親から「パパが居ない間はお前が家長だぞ、ママたちを頼んだぞ」って言われたショーンは、父親の代わりにと家族の為に獲物を捕ろうと思って森にいったんでしょうね。
でも、帰る頃には辺りは真っ暗。苛立ちと不安で一杯の母親からきつく叱られ、ショーンは何もいえないまま家に入れられ、獲物の兎はそのまま門の外。
「面会に行きたくない」というショーンの心情もわかるなぁ。
父親は、きっと彼を元気づけるために言った「頼んだぞ」って言葉は、パパの代わりにって思うけど、母親や学校の先生からみると子供でしかない自分が辛くって、父親の言葉だけが重くのしかかってくるんでしょうねぇ。


それから胸に響いたセリフは
出所した父親と家族が森を抜け海に行くシーンで、母親が子供に戻ったみたいに木に登る。
下から父親が「危ないぞ、落ちたら首を折るぞ」と注意する。
「いいの!パパがいるから!」
彼女は彼が刑務所に服役している間は、ずっとこの言葉を言えなかったのよね。
ずっと自分ひとりで生活を背負いこんで数年間、時には他の男性に心ゆれる時もあったけど、4人の子供たちと暮らしてきたのよね。
「パパがいるから」
彼がいない間、彼女はこの言葉を何度言いたかったことでしょうね。
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父親が服役中の家族の数年間にわたるそれぞれの日常の一コマ一コマを綴った「いとしきエブリディ」
セリフも日常会話以上の作られたセリフはない。
ノーフォークの自然、そしてマイケル・ナイマンの音楽と重なり合って彼ら一人一人の心情までも掬い取った映像。


マイケル・ウィンターボトム監督が5年の歳月をかけて撮影したという本作。映画の後半では、日本で言えば幼稚園児であどけなさが残るロバートは小学3年生ですっかり男の子。長女のステファニーは思春期の恥じらいも見せはじめ、ショーンもまだ子供だけど弟や妹達みたいに無邪気に自分をだせないでいるそんな難しい年齢に差し掛かっているのもカメラは見逃さない。
作ったような不自然に饒舌なセリフもなく、日常生活の些細なドラマの中に潜む、言葉にならない感情とか、言葉という明確な形にならない思いを、ウィンターボトム監督は細やかで深い洞察のある視線で彼らを見つめ続けている。

この作品は、見直すたびに、その時々の私の心情と呼応して、胸打たれたり、ハッとさせられるような新鮮な思いにさせられる、そんな作品。


EVERYDAY
2012年
監督:マイケル・ウィンたーボトム
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Machi。
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# by machiiihi | 2013-11-12 00:00 | 映画

ムベの実

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天智天皇がこの果実を食した時に「むべなるかな(もっともなことだ)」と言ったことがそのままこの果実の名前になった、とか。

ムベの実
アケビに似ているけれど、アケビは熟すると実が割れるけど、ムベはこのまま。
黒い種のまわりの透明な部分が果肉。
甘くて美味しいんだけれど、果肉を食べるというには程遠く、種にまとわりついているゼリー状の部分を舌でしごきながらその甘味を味わうという方が近い。
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この種を土に蒔けば、つる性の常緑樹なのでフェンスに絡ませれば冬でも緑の壁が楽しめるのだけれど、果実の時期には緑色の小さな毛虫がいっぱいつくそうで、この種を蒔いてみようかどうしようか………思案中。


Machi。
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# by machiiihi | 2013-11-11 19:20 | 美味しいもの

毎朝飲んでいるもの

コップに1杯、そこにオリーブオイルをスプーン一匙ほど垂らして。
毎朝、飲み始めてもう1年以上かな。
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伊藤園の「理想のトマト」
ジュースとトマトピューレの間くらいのとろりとした濃さ。
目だった変化はないので良いか悪いかわからないけれど、良いものでも自分に無理強いしてまでは飲みたくないけれど、砂糖や塩無添加のトマトだけの味だからか、ずっと飽きずに毎朝飲んでいる。
900ml×12本を伊藤園の通販サイトからケース買いしている。
友人から、いいわよ!いいわよ!って勧められたのがきっかけ。(その彼女は今も飲んでいるのかしら)

まだ眠いなぁって、頭も身体もぼんやりしている日の朝も、一口一口飲んでいる間に眼も醒めてくる。

健康ブームでサプリメントが大流行だけど、錠剤というのにはどうも抵抗がある。
知り合いで、サプリメントが一杯入ったお薬袋をカバンに入れてる人がいて、一つ一つ説明してくれたけど、一回で飲む量だけでおなか一杯になってきそうで、聞いているだけで胃の内側にサプリメントの壁ができそう。


明治生まれの現役医師で有名な聖路加病院の日野原先生も毎朝ジュースにオリーブ油スプーンに一杯を欠かさず飲んでいるとか。
私も一つぐらい欠かさずにってのがあったほうがいいのかな…と思いつつ今朝も飲んでいる。


Machi。
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# by machiiihi | 2013-11-11 06:00 | 美味しいもの

平和

出勤前に喫茶店で仕事モードに切り替える(ってのもオオゲサで、たんにクセになっているだけ)。
家では日経新聞だから巷の情報見るために、喫茶店では朝日新聞に目を通す。(喫茶店のおばさんが私が来るまで朝日新聞をとってくれているのもアリガトウです。)

そんな朝日新聞の読者投稿欄「声」(11月7日朝刊)に掲載されていた12歳の小学生の「はっきり分かった私の平和」が胸に響いた。

「平和」とは「戦争がないこと」だと思っていた。戦争は人の命をうばい、とてもこわいというイメージがある。けれども体験したことがないので、平和のイメージをはっきり持つことが難しかった。


こんな書き出しで始まった彼女の投稿は、そして、「いじめ」について書いている。
いじめに関する本を読んだり、ニュースを見てとても思った「こわい」は、彼女にとって戦争にたいする「こわい」と似ていると書いている。
「いじめ」によって受ける痛み…戦争にも当てはまることだと思ったと書いている。
そして彼女は「平和」のイメージを持つことが出来たと書いている。

彼女は最後にこんな言葉で締めくくっている。
「平和とは、毎日楽しく身近に幸せを感じることだと思う。私は幸せを感じ、友だちを大切に幸せにしていきたい。」



身近に幸せをを感じること。

当たり前のように口にしている言葉だけど、あらためて、胸に沁みこんでいく。
「幸せ」と感じる感性は大切にしていきたいと思う。

Machi。
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# by machiiihi | 2013-11-10 06:00 |

クヌギの木

クヌギの木。
これを植えたのはもう10年以上前?
2階の私の部屋(寝室・兼たんす置場・兼半分物置)の窓から撮ったもの。
すくすく育ち今や2階の屋根にも届きそう(越えているかも)。
何の因果か、我が家にやってきたばっかりに、この度あえなく伐採されることに。
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友人から、庭があるならこれ植えたら? 山でとってきたらしくってドングリだってって、言ってもらったけど、調べてみるとドングリではなくって多分クヌギ。

このクヌギを植えた当時は、体重40kg以上の大型犬ゴールデン・レトリーバのラッキーとベルの運動場と化してしまっていた我が家の庭。

門から玄関までのアプローチは柵をして、奴らが自由に行き来できなくし、南に面した、かつては一面の芝生だった庭を犬たちに解放。
獣医さんも「これだけ日当たりが良かったら、少々散歩にいけなくてもストレスはたまらないでしょう。」と言われ、グータラでまめな世話好きではない根性の飼い主なので、散歩サボれるのはいいことなんだけど……

奴らが日がな一日走り回ると、芝生もどこへやら草も生えず、雨が降り続いた日には、固まった地面で雨水も沁みこまずプール状態で、その度に長靴履いてスコップもってせっせと庭を掘り返す。
庭の隅に植えられていた椿の木も……ある日、仕事から帰ってくると2匹が長い棒を振り回して遊んでいた。どこにこんな棒が?って、ハッと思うと、椿の木が無くなっていた(ガ~ン)
アロエの大鉢もいつの間にか植木鉢だけになっていたし、鉢の一つも置こうものなら奴らの格好のおもちゃ。
ウェービーヘアーの堂々体躯のゴールデン2匹が歩き回っているから、かろうじて様にはなっているけれど、庭というよりも単なる空き地になってしまっていたこの庭。


元気な木が1本くらいあってもいいかなって軽い気持ちで、この空き地となった庭の南西角に植えたはいいけれど、山育ちの逞しさで、あれよあれよの成長ぶり。

春から夏は大きな緑の葉が生い茂るのはいいのだけれど、秋になると葉が緑から茶に変り、落ち葉になってくれればいいけど、大半は茶色になったままで生い茂る。その光景が冬にはなんとも寒々しくって、それから秋の剪定の時には丸坊主にしてもらっている。

たまたま我が家にやってきたクヌギの木。
こういう木ってやっぱり山にあるほうが似合ってるなって、野放図に育ちすぎ、些か厄介者になってきたクヌギをため息交じりで眺めるたびに、何気に植えてしまった私のいい加減な浅薄さを反省。
まぁ、邪魔にならないからいいかと自分を慰めていたけれど……

そんなクヌギの運命が大きく変ったのは………
長らくの単身赴任からご帰還する夫の「俺の部屋作る」の一声で始まった我が家のリフォーム。
まぁ、それなりの広さのマンションで一人好きに暮らしていた彼には、自分の空間が必要なんでしょう。私にしても、夫と合わせて彼が使っているベッドや家具も入ってもらう空間が必要だし。お互いに言うことなしのリフォーム。
1階の、嫁いだ娘が使っていた勉強部屋をぐ~んと広げて俺の部屋に。
兄貴分のラッキーが亡くなり、一年後に我が家にやってきたベルも老体で、親分肌のラッキーが亡くなってからは家でゴロニャンすることも多くなり、運動場も要らないだろうと空き地同然の庭を潰すことに。私も草引きから解放されるが何より。

お蔭で世間ではLivingといわれているMyRoomもこんなお気に入り空間もできて、バランスボールを転がすスペースもあって、3人掛けソファーで延び延びとお一人様お家シネマできるのは結構なことで良いのだけれど……
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例のクヌギは……
こんな狭いところに押し込められて、
きっと夫の部屋の下にはクヌギの根がはびこっているんだろうなぁ。
私の部屋じゃないから、どうでもいいといえばいいのだけれど。
この先10年、20年経ったら……
もし(きっと)夫が先に亡くなって、そしたら、その時は私もそれなりの高齢で、2階の寝室から1階のこの部屋を使うことになるんだろうなぁ……と考えると、リフォームの時は誰も何も言わなかったし、私も真夏のリフォームにヘロヘロで余計なことはしたくなかったしで、後から考えようで、とりあえずはそのままにしたけれど、真面目にクヌギのこれからを考えなければ。
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まだまだ若いこのクヌギの木。
まだまだ根を張っていくクヌギの木。

今回の剪定から植木の消毒などもお願いすることにしたダスキン・トゥルー・グリーンの方と相談して、やっぱりばっさりと伐採することに。

この辺りは、夏になると兄貴分のラッキーはブロック塀に続く生垣の下で、弟分のベルは地面に穴掘って避暑していた場所。その思い出の場所に二匹の骨を埋めたかったから、クヌギもあることだしで残してもらった三角ゾーン。
ブロック塀とクヌギに遮られた日蔭で、とりあえずツワブキと西洋アジサイとアイビー、それから奥にハランも植えてあるけれど、生育も悪く他の場所に比べて不毛ゾーン。
クヌギの伐採が終れば土も養生して、春になったらあの子達の思い出の場所にふさわしい優しい空間にしてあげなければ。
写真の奥にベルがいつも咥えて遊んでいたサッカーボールはまだ置いてある。



Machi。

ラッキーとベルのこと
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# by machiiihi | 2013-11-09 00:00 |