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マチの、映画と日々のよしなしごと

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映画「シン・ゴジラ」

観る気もなかったんだけどね、
息子がね、「マッド・マックス良かったって人の大方がシン・ゴジラがいいって評価だよ」て聞かされて、
「マッド・マックス~怒りのデス・ロード」マックス評価の私にはちょっと気になるので、
買い物がてら駅前のイオン・シネマまで見に行ってきた。


ゴジラの設定は良かった。
這いずりながら登場したゴジラは、なんかお目目の可愛いでっかい縫ぐるみの動物みたいで、ちょっとずっこけ。
まん丸お目目が動かないからどうみても縫ぐるみのお人形に見えてしまう。

でも、これは急速に進化(成長)するという設定だから、初お目見えしゴジラはまだ幼児っていうところなんでしょうね。
納得。

ゴジラそのものがマグマの塊、
体中からビーム光線
ビジュアル的にもなかなかにヨロシイかと
かつ、
演じる(?)のは野村 萬斎というこのコダワリ。
シン・ゴジラ君そのものは良かったのではないでしょうか。


でもどうしてだか
終盤、とっても大事なシーン
ゴジラをやっつけるというシーンの途中で
自衛隊が頑張って、ついで米軍もさすがの威力をみせつけて、
のそんなシーンの最中だというに
きっと数分間かな、熱帯夜の睡眠不足のせいかしら睡魔に襲われて、
ふっと気がつくと、
ゴジラが固まっていて、


(ネタバレ)
どうやら、きっと
シン・ゴジラは
この先も東京のど真ん中で、
人類の歴史の中で忘れてはならない象徴として
モニュメントみたいに
東京のど真ん中にあり続けるんでしょうね。
こういう設定ってけっこう面白いと思う。


でもどうして寝てしまったのかな? 私。
大騒ぎしてた割には、さほどの盛り上がりも、緊迫感もないまま、
映像の中では緊迫感あるシーンのはずなんですけどね。
映像で語るという点の不味さ(致命傷だけど)もあるのかしらね。

それに加えて、
物語の主要人物ともいえる長谷川博巳、それから石原さとみの、かっこつけたセリフと、セリフの割にはオーラも緊張感も感じられないお軽さというか、説得力がないというか、観るものをその気にさせられないというか、そんかこんなで、彼らが登場するたびに、話すたびに白けさせられて、映画に乗り切れなかったということのよう。
ちょっと不謹慎かしら。彼の代わりに小泉 進次郎君(俳優やってるお兄ちゃんじゃなくって弟の方ね)なんか持ってきたら映像がぐっと引き締るだろうなって思いながら見ていた。


ワクワクさせられなかったから、最後にきて映像よりも睡魔が勝ってしまったんでしょうね。
面白ければ眠気も吹っ飛んでしまうんですけどね、映画って。


ゴジラそのものは良かったんですよ。
家に帰ってそんな感想を息子にぶつぶつ話したら
「まぁ、主役はゴジラだからね」って
そういうことなのね。


ごちゃごちゃと俳優いっぱい出演させないで
もっとシンプルにストレートに
そう、
「グエルム~漢江の怪物」みたいな、あのシンプルさ、ストレートさが面白いよなって思う。
それでいてアメリカ癒着の社会を鋭く抉ったブラックユーモア、そして国家なんか当てにしないでダメ家族一人一人が立ち上がって頑張る構図にこめられた思い。
そしてとことんのエンタテイメントで描ききったエネルギー。
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最近の邦画ってなんかタテマエが多くない?って思う。
これ以上は言わずにおこう。


マチ。


グエルムの画像はったんで、いちおう見たからシン・ゴジラの画像もお借りしてはっておきましょう。

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by machiiihi | 2016-08-08 10:12 | 映画

映画「64~ロクヨン-前編/後編」

書くほどでもないか~って思ったけど……
まぁ、後編も見たことだし、やっぱりちょこっと。
観るつもりがなかった「ロクヨン」
原作も未読だし、テレビドラマでも未見だった本作。
たままたぽかんと空いた週末の午後。
家にグダグダいるより運動がてら駅前までって思って、見たらちょうど「ロクヨン~前編」の上映時刻に間にあうので休憩がてらに、世間で騒いでいるみたいな「ロクヨン」なる作品を観てみようかと、佐藤浩市が出てるからってところで前編を観る。
砂糖浩市はもちろんだけど、綾野剛君がさりげなくいい演技しているし、誘拐された少女の父親役の永瀬君はやっぱりいいねぇ、あらっ烏丸せつ子が懐かしい~!と、俳優陣それぞれがいい演技しているなってところで前編の印象は悪くなかった。
もんで
後編はいかがなものかと、公開初日に駅前のイオンシネマまでひとっ走り観に行った。
まぁ、それぞれの演技はねぇ、中堅どころといえる俳優が勢揃いだから、それぞれのシーンはそれなりにはまとまってるんだけど……

いつから日本映画って、こんなに饒舌になってしまったのかしらね。
テレビドラマじゃないんだから、でっかいスクリーンで見せるんだから、映像で語らずセリフで語ってどうするの!?

後半は、知らない間にのぼっていたハシゴがいつの間にか外されて、変っていて、ひたすらの家族愛に終始するという……
まぁ家族愛を出されたら誰も批判もできないけどね
けれど映画テーマとしては、作品としてはねぇ………
見終わった後には、さぁ、終った、帰ろって余韻もなんもなかった映画。
エンディングに流れる小田和正の歌が余韻といやぁ余韻かな。


あっ、それから、
これは穿った見方かもしれないけど
佐藤浩市の目がクローズアアップされシーンがあって
やっぱ利親子
その目が三國連太郎と重なる。
そして緒形直人。
なんか観ていて「復讐するは我にあり」を意識とさせるみたいで、なんか役者とかに頼った演出みたいで、(私が勝手にそう感じたのかもしれないけど。でも佐藤浩市の目のアップ映像は絶対にその三國連太郎を見ている。リスペクトとともとれなくもないだろうけどね)なんかね)いやだなってちらっと思った。
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家に帰ってから
なぜか無性に突然にウォンビン主演の「アジョシ」が見たくなり観る。
「一度だけ抱きしめたい」というアジョシことウォンビンが少女に言う。
アジョシに向かって両手を広げる少女
少女を抱きしめ涙するウォンビン
そんなラストシーンの映像に、
その前の、大きく両手を広げた少女のその映像に
大袈裟かもしれないけど、映画におけるカタルシスを感じる。
そういう感覚をスクリーン一杯にずしんと味わいたくって映画を観るんじゃないのかな。
それが全てでないけれど、映画に惹かれる大きな一つではある。
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観客が胸を打たれる前に、スクリーンで登場人物がこれでもかって語って泣いて、さぁ皆さん感動しましょうって絵になってもねぇ………。
俳優人の演技が良かっただけに、
脚本、演出が凡庸なんでしょうかねぇ~。


Machi。
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by machiiihi | 2016-06-14 10:32 | 映画

映画「殿、利息でござる」

素直に、いい映画って思う。

羽生君が仙台藩主である殿様役で出るって言うんで、それが話題の映画宣伝だったけど、
で、私も
羽生君が出てなかったら多分観に行ってなかっただろうなって思う。

もともと邦画はよほどでないと見ない方だし、
この監督の作品もこれが初めて。
最近作だったら「奇跡のリンゴ」もこの監督なのね。
「残穢 -住んではいけない部屋-」もこの監督だったんだ。
原作者の小野不由美さんの「十二国記」は好きな作品なので、これも原作で読んでいて、あえて映画で観ようとも思わなかったもの。

この作品の原作者で歴史学者の磯田 道史さんの「武士の家計簿」も映画化されたけど、観たいと思うテイストでなかったのでスルー。
羽生君が出るんで観るつもりだったから、原作読んだけど、さほど興味が出てこなくって途中で中断してしまった。


でも映画の方は、
出だしからリズムがあって、とってもリズミカルなテンポは緩むことなく、ホロリとさせられる部分とお笑い部分の兼ね合いもよろしく、かつ、とってもシンプルで分かりやすく面白かった。
羽生君出てなくっても、それはそれでいい映画って素直に思う。
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羽生君の登場は最後の、締めともいえる部分なんだけど、
しっかり映像に馴染んでいて、
とっても良ろしいかと。
羽生結弦くん、きっかりワンポイント効いてました。

なかなかにいい映画でした。
これなら母が観に行っても楽しめそう。
叔母と観に行くんだそう。

そして、
この映画の収穫はもう一つ。
善人揃いの中にあって一人いやな奴、萱場 杢を演じた松田龍平君も良かったのではないでしょうか。
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Machi。
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by machiiihi | 2016-05-22 10:20 | 映画

映画「バケモノの子」

公開初日に観に行った息子が
「良かったよ~。母さんもきっと気に入ると思うよ」って、パンフレットも買ってきてくれた。
んだもんだから
観に行かないとな、ってところで先日仕事帰りに観てきました。

うん、うん
素直に良かった。
シンプルなストーリー、シンプルなメッセージもいい。
アニメってシンプルが一番。

熊徹の声を演じた役所広司。
映画などでは誠実な役が多い彼が、無骨で言葉よりも身体が先に、の肉体派、武闘派とも言える熊徹。
彼がって知っていても、熊徹の声を通して役所広司の顔が浮かんでこない。
さすが! 
役者ですねぇ。

少年時代の蓮こと九太の声を演じたのは宮崎あおい。
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声のキャラクターもそれぞれに味があって面白い。
広瀬すずちゃんの一生懸命さが、楓の一途さと重なっていい感じ。

Machi。
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by machiiihi | 2015-07-30 13:25 | 映画

映画「味園ユニバース」

ブログ小休止中に見た映画は、「観た映画を振り返ってみる」で網羅したはずだったけど、人(というより私)の記憶の如何にええ加減なことか。

記憶って面白いもので、突然、ひょこっと、あぁ、あの映画!って表れる。
思い出したから記事アップ。

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どうしてこの映画を観にいったかと言うと、
「味園ユニバース」って言葉の響きに、大阪ミナミの猥雑さ、通っていた小学校の通学路にあった映画館の記憶、洗練されて都会化されていく前の、
そうレトロな時間。
*突然横からお邪魔だけど、
千日前通りを通ると特に欧米人達の観光スポットみたい。ゴテゴテギラギラの看板だとか立ち飲み酒屋だと、キッチュといおうかなんといおうかのお店とか……皆さんカメラもって笑顔でバチバチ撮ってらっしゃる。ジス・イズ・ジャパン! ジス・イズ・オオサカ!なのかな?

大阪・千日前に実在する味園ビルにあるユニバースが舞台からきたタイトルが、私にそんな昭和の匂いを嗅がせたのかしら。
この感覚って、昭和生まれの大阪人だからこそかもしれない。

山下敦弘監督作品なんて観たことなかった。
渋谷すばる
関ジャニ∞のメンバーだということ以外は何も知らない。
ただ『関ジャニの仕分け∞』は結構気に入っている番組で、彼らに対する印象は悪くない。
二階堂 ふみ
若手俳優の中では存在感のある子だなって思うけど、それ以上の興味なし。

失われた時間への懐かしさっていうほどの、大層なものではないけれど、ただ、それだけの感覚で劇場まで観に行った。

ストーリーはさほどのものではないけれど
「これはこれで、ええやんか」って思える映画。

渋谷すばる君…なかなかええやんか。
二階堂ふみちゃん…しっかり地に足ついた生命力を感じさせる女優だなって改めて思う。
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2月14日公開だから、観終わってから約2ヶ月。
振り返ってみても、なかなか良かったやんって思う。
大阪人だからこその感覚かな?

邦画って滅多に見ない私だけれど、
たまに邦画もいいものねって思った映画でもあった。



Machi。
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by machiiihi | 2015-04-07 09:43 | 映画

映画「小さいおうち」

「オンリー・ゴッド」が何をどう観たらいいのかしら?って風で観終わったものだから、なんかスッキリしなくって、同じシネコンで上映されている「小さいおうち」を、ちょうど時間の都合もよくって観ることに。

映画館で見るほどでもないかなって思っていたけど、頗るいい感じで観れました。
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「小さいおうち」
2013年/日本/
原作:中島京子「小さなおうち」(2010年第143回直木賞受賞)
監督:山田洋次


小さいおうちに封印された秘密が60年の時を経て紐解かれる……ってミステリアスに言われる本作のコピーだけど、そんな秘密も、タキがずっと胸に隠し持っていた思いも、空襲で焼けてしまったあの赤い屋根の小さなおうちの思い出。

それよりも、日本がまだ大日本帝国と呼ばれていた時代、大正モダンと呼ばれた時代から引き継がれた和洋折衷文化が華やかだった昭和初期の、平和と繁栄を無邪気に謳歌していた頃の日本、日本の小市民的な生活が綴られているのも、なぜか懐かしい。
全編に流れる久石譲の音楽がまた昭和モダニズムを感じさせる。

戦前の昭和と平成の現代。
二つの時代の異なる空気、匂いが微妙なタッチで描かれている。

松たか子演じる平井時子は、赤い屋根の洋館、平井家の奥様である時子を演じた松たか子が見せる、いかにも山の手の良家の若奥様らしい華やぎ、おっとりとした上品な物腰、着物を着る仕草の中にも育ちの良さが感じられる。
一作ごとにいい女優になっていっているみたいな松たか子。
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そして、黒木華が演じたタキの素朴な一途さ。
この二人が醸し出す雰囲気が、観ていてとても心地良い。
そして、そんな二人の前に現れる板倉正治役の吉岡秀隆の純な朴訥さもまた戦前の昭和の匂い。
大叔母にあたる老いたタキに、自叙伝を書くようにすすめる健史役の妻夫木聡がみせる現代っ子の明るさもまた好対照。

因みに、私とは星の数が必ずしも一致しない、日本経済新聞社のシネマ万華鏡では「監督の主題はラストで示されるように、いかなる恋の自由も許されない戦前の暗い時代への反省と今日の保守的な雰囲気への警鐘にあるといえる」と書かれてあるけど、そないに難しいところまで読み取れなかったけど~。もっと素朴に見たらいいんと違う?って思うけど~。

Machi。
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by machiiihi | 2014-01-28 10:00 | 映画

映画「永遠の0」

胸に痛い映画って好きだけど、だけど泣かせる映画ってのはどうもねぇ……
この映画見ながら5回ほどティッシュつまんで洟かみました。
この辺りが邦画の嫌なところ。
涙の数だけ感動作品レベルが上昇ってところがねぇ、どうもねぇ。

それなりに、良かったって思える映画だったんだけどね。

たしかに原作者の「生きる」ってメッセージは描かれていたと思うんだけど、泣かせる前に、もっとあの時代を切り裂け!って思う。
映画と同名の原作は、百田尚樹の作家デビュー作。
原作を読み、映画を観た叔母は原作良かったって。
今読んでいる本が終ったら原作を読みましょう。

観客に涙流させて、水に流させて、戦争そのものを描くな!って思うのね。
登場人物にやたらめったら作中で泣かせるな!って思うのね。
洟かまされた分だけ、良かったぁ、感動したってだけで終らされたみたいな……。
やっぱり最後は個人レベルの感傷に訴えるような感動的なラストになってるんよね。

同じように戦争の時代を描いても、ヨーロッパ映画って成熟しているなって、やっぱり思う。
感動の質もレベルも違うなってつくづく思う。


主役を演じた岡田君はとってもよく演じていたと思うのね。
役者としては、あと10cm、いや5cm身長が欲しいなぁ、惜しいなぁって思ったほど。
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by machiiihi | 2014-01-18 11:30 | 映画

映画「利休にたずねよ」

原作が良かったから、映画はどんなもんかいと、先週末、仕事帰りに映画館まで。
夜の回だったからでしょうか、観客数は数えるほど。
私の座っていた列に、3席ほど置いた席に私と同年齢くらいの女性客が一人。
映画の途中から、しきりに鼻をすすり上げながら観ているような。
風邪ではなくって、これは感涙にむせぶっていうやつでしょう。

そんなに感動するシーンなんかあった~?って思うんだけど……

私はというと、どうも千利休の侘びさびを意識しすぎて、
演出しすぎて、
脚色しすぎて、
なんか、”わざとらしさ”というか、”あざとさ”を感じて、いささかの白け気分で観ていた。

約1年前ほどに原作を読んで、その感想を以前のブログにアップ。
そこでこんな一文を書いていた。
映画は、原作の、内なる凄みにどこまで迫れるかしらねぇ。
ギラギラした利休をって海老蔵は語ってるみたいだけど、ちょっと違うんだなぁ~。
キャスティングにそそられるところなしで、観にいく気もないけど……。

歌舞伎の舞台で海老蔵の隈取りした顔で”にらみ”を見ているけど、歌舞伎のそれとは違う、内面からじわりと押しだされてくるような凄み、目力が求められる映画。

まぁ、若いといえばそれまでなんでしょうけど……
秀吉の描き方も然り、
既存の枠から出ることなく、原作の内面に迫るところまでは至ってないなって印象。
映画が千利休に負けているって思った映画「利休にたずねよ」

利休が想い人の形見の釉薬の香合を前に果て、その香合は利休の妻の手で庭の石に投げつけられ粉々に砕け散るというのが原作。
映画では、中谷美紀演じる千利休の妻、宋恩はぶつけようのない悲しみと嫉妬にまかせ何度も割ろうとするが割れず、茶室でその香合を前に静かに茶を点てるシーンで終っている。

美しい終わり方だけど、人の世の業、愚かさをも孕んでこその、その究極ともいえる対極に侘びさびがあるんじゃないかしら、利休が創出した草庵茶室のだからこその空間じゃないかしらって思うだけど……。
やはり、あの香合は宋恩の手で砕け散るべきだったかと……
それでも尚、あの茶室に座ることで、人は無心となって茶を点て、亡き利休を、そして利休のうちに棲んでいた女人をも慈しみ弔うことが出来るんじゃないかしら……ってそんな風に思うんだけどなぁ。


観に行く気ないといいながら、なんで観にいったかというと、
本作の公式サイトで
………三井寺、大徳寺、神護寺、南禅寺、彦根城といった国宝級の建造物でのロケーションも敢行された。また、撮影に当たっては、利休が実際に使用した「長次郎作 黒樂茶碗 銘 万代屋黒利休所持 万代屋宗安伝来」をはじめとする茶の名器を数多く手配し、千利休より受け継がれる茶道の名門・三千家の協力も得て幻の「利休の所作」を再現。………

そして、

秀吉が執着し続け、利休が肌身離さず大切に持っていた、あの「緑釉(りょくゆう)の香合」も、一人の上野焼(あがのやき)の窯元で制作されたとか……
作品の出来はともかくとしても、これだけでも本作を観にいく価値は大いにありかしらって観にいったんだけど、よく分かりませんでした。
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Machi。
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by machiiihi | 2013-12-15 06:00 | 映画

映画「はなれ瞽女おりん」

原作は水上勉の同名小説。
水上勉原作の映画は、若い時に数本観ていて、記憶にしっかりと刻み込まれていて、機会があればもう一度観てみたいと思う作品が多い。
本作もその一つ。
1977年に篠田正浩監督によって映画化。
映画館で観て以来だから36年ぶりに観る。
主演は岩下志麻。
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 瞽女(ごぜ)とは、ウィキペディアから引用すると……
「盲御前(めくらごぜん)」という敬称に由来する女性の盲人芸能者。
近世までにはほぼ全国的に活躍し、20世紀には新潟県を中心に北陸地方などを転々としながら三味線、ときには胡弓を弾き唄い、門付巡業を主として生業とした旅芸人である……とある。


公開当時、映画館で観ていて、瞽女おりんを演じた岩下志麻がきちんと髪を結い美しいままで、この瞽女はないだろうと思ったけれど、それよりも、北陸の雪深い道を瞽女たちが裸足で前の者の肩をもって歩いていく姿や、瞽女たちの男に抱かれてはならぬという掟、その掟に背いたため、庇護から落ちて離れ瞽女となっていく盲目の女たちの、それでも生きていく厳しさ、生きることの重さが胸にずしんと応えた。

掟に背き離れ瞽女となったおりんの目が見えない哀しさ。男たちに引かれるままに旅を続け、そして男に捨てられ、一人寝の怖さと寒さにどなたでもいい抱いておくれと懇願し、そんな己の身の上を旅の途中で出会った男に問わず語りに話す。
お前とずっと一緒に旅を続けたいから、お前を抱けば他の男たちと同じようにいつか終ってしまうから、お前を抱けんと、おりんに指一本触れようとしないこの男とおりんの旅が続く。

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亡くなられたけど、原田芳雄がステキだった。
今回見直してみても、やっぱりステキ!
田宮二郎といい原田芳雄といい、この頃は、大人の男の色気をきちんと持った素敵な俳優がいたなっってしみじみ思う。
「イケメン」ではなくって「大人の男」。
でも最近の俳優に求められるのは、少年っぽさの残ったイケメンがいいらしい。
ふ~ん、これも時代の流れかしらね。
「優しいだけでは生きてはいけない」ってこんなセリフ、なんかの映画で言ってたような……遠い記憶。
原田芳雄…この当時は30代半ば。
男の、熱いけど暑苦しくなくて、男臭いけどどこか清潔感もあって、そんな素敵な色気のある俳優だった。
60歳を過ぎてからも、(浅野忠信がでていたけど)宮沢りえとほとんど二人芝居といってもいい黒木和雄監督の「父と暮らせば」(2004年)や是枝裕和監督の「歩いても歩いても」(2008年)なんかでも、骨太さは変らず、年を経てこその素敵な色気を滲ませてらした。


水上勉が描き、篠田正浩が映像で描きあげようとし、そして宮川一夫がフィルムに焼きつけた、日本の原風景ともいえる世界。
ただ生きること、そのことにひたすら一生懸命だった時代。
何もなかった時代。
家々を回り、酒宴や祝いの席に呼ばれ三味線を弾き歌を歌う瞽女たち。

6歳から瞽女の親方テルヨの家で芸を仕込まれ育てられたおりん。
男に抱かれてはならないときつく戒められても、おりんの美貌に男たちがほっておくわけもなく、おりも、抱かれてみたいという年頃の女の正常な欲望が身体の中で渦巻く。
テルヨを演じた奈良岡朋子の、開かぬ目を開けようとする表情など本当に上手い。
警察に追われた男と別れ、再び一人になったおりんが出会った離れ瞽女のおたまを演じた樹木希林。
目を閉じたままの岩下志麻よりも目を開いたままで焦点の定まらぬ盲目を演じる樹木希林の芸達者。
善光寺で再び男と再会したおりんに、「幸せにおなりなよ」と声をかけり、おたまのあっけらかんとした中に一抹の哀しさを感じ取る。


117分。お家シネマだけど、じっと映像を観続けた「離れ瞽女おりん」
岩下志麻という女優についてはあまり関心はないけれど、彼女が主演した今井正監督の「婉(えん)という女」(1971年)も機会あればもう一度みたいと思う。原作は大原富枝。
土佐藩・家老の野中兼山の失脚・死亡により、兼山の政敵たちが野中の家系を根絶せんと、山中に幽閉させられた遺族たちの悲劇。
大原富枝がその冒頭で「わたくしたち兄弟は誰も生きることをしなかったのだ。ただ置かれてあったのだ」と綴った「婉という女」の人生、生き様。
ラストシーンだったかな40年ぶりに幽閉を解かれた婉の乗る駕籠を制した武士達に「野中兼山の娘、婉。そこを通すのじゃ」と凛として言い放った岩下志麻が印象的だった…と記憶している。


こうして振り返ってみると、モノが豊かな時代と、そうでなかった時代の価値観もあるのでしょうか。
小説でも映画でも、きちんと一人の人間の人生と向き合って、生きることの重みが感じられる作品が少なくなったように思う。


Machi。
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by machiiihi | 2013-10-30 00:00 | 映画

映画「夢売るふたり」

「ゆれる」では、家長制度の因習に閉じ込められた兄と、家も郷里を捨てたように自由に生きる弟の、この兄弟の、兄弟だからこその確執と、兄弟だからこその切れない繋がりと、そんな兄と弟の中の心の底にゆらゆらとゆれる澱のような得体の知れないものが横たわっていることの、どうしようもならない哀しさが映像からたちこめ、、そしてラストでみせた香川照之の表情にこの映画の全てを物語っているような、あの表情が観るものの胸に焼きついた映画だった。
兄の中で蓄積し続けてきた弟に対すし、ぶすぶすとくすぶり続ける確執が怨念すら感じさせるような香川照之の演技が圧倒的だった。
 「ゆれる」の映画レビューはこちらのブログを 

そして本作「夢売るふたり」で、松たかこがラストで見せたあの表情が、里子、そして里子と貫也のその後を、映像の向うに思い描いてしまう。
松たか子…だんだんいい女優になっていってるナァ。
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女性である監督西川美和子が、女しかもその女は、焼失した自分たちの店をもう一度持つという、自分たちの夢をかなえるために、夫をそそのかして、結婚詐欺で女達から金を巻き上げようとする女を描いた本作。同じ女だからわかる、女の持つ現実性、逞しさ、意地、残酷さ、母性本能、すがりつきたい弱さ……。

女の本性といえば大袈裟だけど、松たか子を通して映像に引きずり出したともいえる本作。


夫の貫也が板前として腕を振るい、妻の里子が明るい笑顔と気配り目配りで店を仕切る。カウンターをはさみアイコンタクトで互いに通じあう里子と貫也の最強の二人三脚。
二人で一つだった、いつもそれが当たり前だった里子と貫也。

二人で励ましあって苦労しあってやっと念願の小料理屋を開き、常連客で賑わう店を二人で築き上げて5年。
その幸福が、二人の夢が、目の前であっけなく焼け落ちてしまった。
意気消沈する貫也とそれを励ます里子。
二人の関係は、里子が貫也の妻であり、そして母であり、貫也はそんな里子に頼り、従順に甘えてきた。そんな関係だったんだろう。
だから新しい店の構想も、女達から巻き上げた資金ではまだ不足だけれど、貫也の希望を叶えてあげたかったのだろ、貫也を励まして結婚詐欺に精を出す里子。
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結婚詐欺も最強のタッグでやっていたはずの二人が、どこからすれ違っていったんだろう。
女たちにささやかな夢を売るのと引き換えに、二人の中でキラキラと輝いていた幸福や笑顔が乾涸びていった。


店の常連客だった玲子が、不倫相手の弾性からの手切れ金を店をなくし失意の貫也にくれた。
女が惨めな気持ちで受け取った金を、惨めな二人が受け取った。
その札束を凝視しながらガスコンロで燃やし、火のついた札束を貫也に叩きつけた里子。
「里ちゃんは女たちに復讐したいだけなんだ!」そう詰る貫也の言葉をコップの水と一緒に飲み下す里子。


係わった女たちの人生、彼女達が胸に抱えている哀しい部分、一生懸命さに触れる度に貫也のなかで何かが少しずつ変りはじめたのだろう。
女の夢を金に換算する里子。
貫也がいない部屋で空しく自慰行為に耽る里子。


貫也の幸福は、自分が作った料理を美味しいといって食べてくれる人の笑顔。
その貫也の喜びが自分の喜びだった里子の幸福だったあの頃。
二人で一つの笑顔だったあの頃。


その貫也が離れていく。
彼が偶然に出会った一組の母子。
親切心で作った自分の料理を美味しいと笑顔で食べてくれる食卓の温もり。
料理を作ってあげるだけだから……
公務員だから金には困ってないと思うから……
もうすこししたら金を取れると思うから……
店が開くまでには帰ってこれるから……

そういって庖丁を包んでその親子の家に向かう貫也。
その腕をつかむ里子。
「行かないで」そういって縋りつくことができたら……
自分の中にある弱さや不安を彼にぶつけることができたら……
それができない、自分で背負い込んでしまおうとする里子の強さ。
里子には出来ないんだよね。
貫ちゃんのこと、誰よりも一番よく知っているから、だから弱い部分を見せられないんだよね。
これ以上惨めになりたくないと思う里子の意地もあったんだろうね。
だから、その腕を放してしまったんだよね。

里ちゃんが後を追ってきてくれたら……後ろを振り返った貫也。
引き止めて欲しいと思った貫也。
引き止めたいと思った里子が飛び出したのは、彼が自転車で走り去った後。
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貫ちゃんはもう帰ってこないんだ。
私から離れていったんだ。
横断歩道に立ち尽くす里子の目の前に、二人が結婚詐欺を働くきっかけとなった手切れ金の玲子が、キャリアウーマンとして颯爽としたスーツ姿で歩いていく。里子に気がつき笑顔を見せる玲子。

そんな玲子の元に、二人の店だった「いちざわ」のゴム印を押した封筒で現金が届く。
どうやって工面したのか、里子の女の意地だろう。
貫也が係わった女たちはそれぞれに新たな一歩を踏み出し自分の人生を歩き始めている。

里子は東京を離れ青森の大間漁港で働いている。
頭の上でカモメが甲高く鳴いている。
刑務所に服役している貫也の耳にカモメの鳴き声が聞こえたような、そんな遠くをみつめる目で空をあおぐ。
ここにいない里子を思い出しているような……。
そして里子は……
スクリーンを観ている観客を見つめるようにじっと前をみる里子。
働いて生きていくしかないでしょう。
貫ちゃんが出てくるまでここで頑張る。
夫婦だから……
このラストシーンの受けとめ方は、もう一度映像で確かめたいなって思う。

夢を見ていたのは女たちだけではなくって、里子と貫也の方だったのかも知れない。
人間って、外からどんと押してもらうか、何かの衝撃がなければ、袋小路から抜け出せないのかもしれない。
里子や貫也、それから二人がかかわった女たちをみていて、そんなことをふと思うと、ポール・トーマス・アンダーソン監督の群像映画「マグノリア」で、空からカエルの雨が降ってきて、その衝撃で躊躇っていたものたちが次の一歩を踏み出す、あのらすとシーンを思い出す(のって変かな?)。


妻・里子に松とも子、そして夫・貫也に阿部サダヲというこのキャスティング。
そして阿部サダヲが結婚詐欺師?というあり得んと思える設定。

兄弟の確執を描いた「ゆれる」に比べて、本作は切れ味は少し鈍いかなとは思うところもあるけれど、さらに女たちに迫って欲しいと思う。
向田邦子の、あの温かくも鋭い視線と切れ味が欲しいナァと思うのは、ちょっと酷かな。
向田邦子が生きた時代のほうがもっともっと飢餓感が強かったのかな。
そして彼女自身も強烈に生きるということ、女であるということに飢えていたんだろうなぁ。


マチ。
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by machiiihi | 2013-10-20 00:00 | 映画