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マチの、映画と日々のよしなしごと

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映画「女系家族」

山崎豊子さん。
88歳で先日亡くなられた。
最後まで執筆活動をされていたという。
彼女の原作で映像化されたものが追悼番組としていくつかBSやCSで放映されている。

彼女の作品はさらりと読み進めない重さがある。
一分の隙も、甘えも拒絶し、書き尽くそうという彼女の気迫が作品に充満しているような熱さがある。
読むほうも、その気迫、読むものに目を逸らさせることすらさせないほどの気迫で、熱に浮かされたように夢中になって読み耽り、読み終わった後はしばし放心状態になる。
戦後社会の闇、歪、不条理、その世界で蠢く者たち、そこに投げこまれた人々…彼女が切り裂き、読むものに突きつけるものは大きい。

山崎豊子が社会にメスをいれる作品の前、大阪・船場の商家に育った彼女が、船場を舞台にそこに生きる人々を描いた作品でも、彼女の鋭い観察眼は光っている。
そんな中の一つ「女系家族」(1963年/監督:三隅 研次)が、日曜日の夜にCSで放映されていたので観る。
映画「女系家族」_b0309033_13413066.jpg

作品の概要はallcinemaあるいはWikイpediaを参照してもらうことにして……

やっぱりこの頃、この時代の邦画っては、本作も作品って本作もそうだけど、ほんとお腹にずしんとくるほどの見応えがある。
邦画を見なくなって久しい。
どちらかというと邦画作品よりも洋画がお好み。
でも若い時は邦画とか洋画とかあまり区別なく見ていたのだけれど。

原作、そして脚本もいいのだろうけれど、演じる俳優達がそれぞれに存在感がある。
最近の俳優って、演じているっていう演技を感じさせてしまう。
邦画を見なくなったのもそんな軽さ浅さを感じてしまうのも一因かもしれない。

例えば、長女・藤代を演じた京マチ子。
銀幕に咲く大輪の花。
映画は女優によってつくられている。
彼女をみているとつくづくそう思う。

なんで総領娘のこの私が妹らと同じ扱いになりますねん。
合点がいきません。
この相続うちには承知できまへん。
頑として総領娘の自分の立場を主張する
お嬢様育ちの我が儘と、長女のしっかりさと勝気さと、それでいてどこか世間知らずなおっとりさも感じられ、大きなっても「いとさん」そのまま。
「ちょっと、なかんちゃん!」と次女の千寿に鳳八千代演じる次女の千寿への言い方も「いとさん」そのまま。
その藤代の遺産相続の相談相手となって、あれこれと知恵をつける踊りの師匠、田宮二郎のジゴロ的な色男の雰囲気も自然で嫌味がない。
彼はこの時28歳だったとは。
横道にそれるけど「太陽がいっぱい」の時のアラン・ドロンは当時24歳だった。
今の俳優がこの役を演じたら、きっと妙に色気さ出しすぎるか、思わせぶりすぎて、嫌味に感じられるか、あまり色気を感じさせないか、だろうなって思う。

どこか違うんだろうって思うだけど、やっぱり「目」が違う。
「目」に、色気も、勝気さも、頼りなさも、野心も、怒りも感じられる。
黙っていても彼らの「目」が何をか語っている。

みんな大人の重みを感じさせた。
というよりも、演技者である前に、人としてみんな一人前の大人だったんでしょうね。
大人であるか子供であるかのどちらかで、いわゆる「若者」という世代が世代として存在しなかった時代だったんでしょうね。
学生時代から中高年になった今もずっとジーンズをはき続けているという時代ではなくって、何かを脱ぎ捨てて大人になっていく。
きっとそんな時代だったんでしょうね。


相続をめぐるいがみ合いの果に、姉妹たちは総領娘として生きなければならなかった母の、女としての哀しみを知る。
そして、戦前から戦後へと時代が大きく変わる中で、家という価値観にしがみついていた藤代は、「自分の身は自分で守るんや、そないお父さんが教えてくらはった気がする」そういって家を出る決心をする。
映画は、戦前から戦後、新旧の価値観が交錯する時代の中で、その硲から、家という所属意識から抜け出した藤代の、強かに生きる彼女のこれからの人生を思わせるシーンで終る。

山崎豊子が描こうしたのは、藤代を通して、一人の人間としてのあり方を描こうとしたのではないかしら。
船場の商家の娘として育った彼女も、商家の代々のしきたり、家長制度といった価値観の中で、一人の人間としてずいぶんと抗って生きてきたことだろう。
そんなことも思う。
私自身、大層な家ではなかったけれど、いわゆる母屋、本家といわれる家に育ち、親の時代には家長相続が当たり前のそんな家、周囲の環境の中で生れ育ったからか、家というものの存在、価値観は感覚として理解できる。

この「女系家族」の後に、山崎豊子は「花紋」を発表している。
美貌と類稀な才能を持ち、大正時代の歌壇に彗星のごとく登場するも、しかし、大阪・河内長野の大地主の総領娘として生まれた彼女は、因習という檻の中で、その因習に抗いながらも抗しきれず、自らの生を葬り去り世捨て人のごとくその後の人生を生きた、実在した一人の歌人の壮絶なる生を描いている。

マチ。
by machiiihi | 2013-10-08 09:00 | 映画
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