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マチの、映画と日々のよしなしごと

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祖母のこと

15日は、実家の祖母の23回忌の法要がある。

子供の頃、祖母の上にさらにひぃお祖父ちゃんとひぃお祖母ちゃんがいて、嫁入り前の叔母2人がいて、それはそれは大家族だった。
祖父が早くに亡くなったので、一家の長は私の父親。
だから、母は家の切り盛りが大変で、子守りは誰か手の空いている者がで、とりわけ真ん中っこの私などはもっぱら年寄り任せ。妹は一番下の叔母のお役目だった。
料理好きな母は、料理に関しては忙しくても手抜きは出来なかったみたいで、手のこんだ料理やお菓子を作ってくれていたことは母の名誉にかけて特記しておこう(笑)

私の記憶の中で一番先に亡くなったひぃお祖父ちゃんとは、胸に来賓のリボン胸章をつけてもらってお祖父ちゃんに抱っこされてる私の写真がある。どっかに行く時はいつも私を連れて行ったのだろう。
それから夏には、奥座敷でひぃお祖父ちゃんを真ん中に兄と私が川の字で腕枕してもらって、ひぃお祖父ちゃんにお話してもらいながら昼寝したことも覚えている。前栽から吹いてくる風も心地良かった。

ひぃお祖母ちゃんとは、歯医者に連れて行ってもらったことを覚えている。
歯医者に行く道中、歩きながら「痛とうても泣いたらあかんねんで。」と言われて、でも結局泣きながら帰る途中で「これ買うたるさかいにもう泣き止み。だれにも言うんと違うで。黙っとくねんで。」と言われて、当時の子供には憧れの高嶺の花の板チョコを買ってくれた。嬉しかったけど、子供心にもいいのかな~って思ったことも、しゃくりあげながら食べたのも遠い記憶の中で覚えている。
いつも一緒にお風呂に入らされて、日本手ぬぐいを手に被せて、湯船につかりながらひぃお祖母ちゃんの背中を小さい手でかいたのを覚えている。「Machiは上手やネェ。」と言われながら、「もうええわ、おおきに」という言葉をひたすら待っていた。

まだ小さかったけど、老いていく姿も、それぞれの死んだ時のことも、お葬式も覚えている。
その後は、祖母が私や妹の面倒をよくみてくれてたっけ。
優しく見守ってくれていたと思えるのは、母よりもこの祖母の方。
この年齢になって思うに、いわゆる家付き娘だった母は、他家に嫁いだ妹達よりも、ずっと娘気分のままでこの祖母に案外と甘えていたのかもしれない。

兄や妹に比べて、いわゆる”はみだしっこ”と言われる真ん中っ子の私を祖母はとりわけ気にかけてくれていたように思う。
大学生の時、下宿する!って言って荷物を積んで父の車で京都に行く私を見送った後、祖母はずっと泣いていたそうだ。
冬休みで下宿先から家に帰ると、決まって私の好きな甘酒を米麹で作ってくれていた。
娘の初節句のお祝いに、私が大好きな市松人形を選んでくれたのも祖母。
妹の嫁入り道具につけてなにか人形ケースをと思案していた母に、市松さん一対にしたらって言ったのは私。その私の言葉を祖母は覚えていたのだろう。「あの子が好きやて言うてたから」と女の子を祖母が、やっぱり一対でないとと男の子の方を母が買ってくれた。
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不慮の死で早くに亡くなった祖父は、聞くところによるとかなりの遊び人だったそうで、祖母は口には言えない苦労もずいぶんとあったことだろう。
祖父は、女学校に通う祖母に一級下の妹を通してラブレターを送り続けたそうだ。「いっつも兄さんから手紙持たされて、姉さんの教室に渡しに行ったわ。」って大叔母さんが教えてくれた。その話を傍らにいる祖母は遠い思い出のようなにこやかさで聞いていた。
家の納戸から行李一杯に入った祖父から祖母へのこの手紙を見つけたのは一番下の叔母で、「いやぁ~お父さんのラブレターやわぁ~!」って大騒ぎしたそうだ。
祖母はこの手紙も持って嫁いできたのだろう。
そして祖父が亡くなった後も処分しなかったのか、それともとうの昔にそのことすら忘れてしまっていたのか……
でも私の知っている祖母は、いつも穏やかで、人を誹ったり、愚痴ったりする姿をみたことがない。
それでいて人の道理をきちんと諭してくれたのも祖母。
家族のことを誰よりもよく気にかけて見ていたのは祖母だったかもしれない。

最期の数日間は里からも祖母の親族が駆けつけ、娘たち夫婦みんなに見守られての幸せな往生。

ひ孫に当たる甥にいたっては、その日がちょうど彼の高校受験の願書提出日で、祖母を見舞ってから心配そうにしぶしぶ家を出て行ったそうだ。
提出の報告に職員室に行った彼は、真っ先に、家から連絡が入ってないか訊いたそうで「おばあさんが亡くなったと電話があったよ」と言われ、それを聞くなり職員室で人目憚らずに声をあげて泣いたそうだ。ずっと堪えていたんでしょうね。
生徒会長もし、学校ではポーカーフェイスだった彼がこんな風に泣いたのも先生方には驚きで、ひ孫からもこんなに慕われていたおばあさんってどんな方だったのかと、後日、担任の先生方がお参りに来られて、母も義姉も初めて知った職員室でのこの出来事。

祖母のことはまだまだ一杯私の胸の中にあるけど、もうこんな風に語ることはないだろう。
ブログという形で、その祖母のことを、断片だけどこうして文字にして語ることが出来て嬉しいなって思う。


私が持っている祖母の写真。
祖母の思い出に。
祖母のこと_b0309033_9251639.jpg


Machi。
by machiiihi | 2013-12-13 09:31 | 徒然に
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